Columnコラム

愛用の馬上杯をもつロバート キャンベルさん

ロバート キャンベルさんと乾漆の馬上杯

どんなお酒を飲むかと同じくらい、どんな器で飲むかも大切にしているという日本文学者のロバート キャンベルさん。なじみの店に出かけるときには、お気に入りのお酒だけでなく「マイ杯」を持ち込むこともあるそうです。今回見せてくれたのは、仙台で出会った乾漆の「馬上杯(ばじょうはい)」。一つの酒器を入口に、お酒の味わい方、人との縁、そしてお酒の席だからこそ生まれる時間について語っていただきました。

ロバート キャンベル さん

ニューヨーク市生まれ。日本文学研究者。早稲田大学特命教授。早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリー)顧問。せんだいメディアテーク館長。東北大学特任教授。東京大学名誉教授。近世・近代日本文学が専門で、とくに19世紀(江戸後期~明治前半)の漢文学と、それに繋がる文芸ジャンル、芸術、メディア、思想などに関心を寄せている。著書に、茶の湯の名品を実見し、自らの見識や発見、感慨を通して日本文化を読み解く『よむうつわ 上/下 茶の湯の名品から手ほどく日本の文化』(淡交社)がある。

酒場で広がる贈与の輪

実は、僕は家ではお酒を1滴も飲まないんです。どちらかというとソーシャルドリンカーで、家では晩酌をしないんですね。夜は寝るまでは本を読んだり、原稿を書いたり、メモをとったりしたいほうで、お酒を飲むとほかに何もできなくなるので。酒好きではありますが、飲むのは外です。

日本料理や和食の店、日本酒に志のある料理人がいる店に行くことが多いですね。そして訪問2~3回目ぐらいから「お酒の持ち込みいいですか?」と恐る恐る聞いてみます。

日本文学者のロバート キャンベルさん

京都にも「食たく かとう」という大好きなお店があって、もう7、8年前ぐらいからのお付き合いになるかな。京都に行くと台所代わりに大体そこに食べに行くんですが、関西であまり出回っていない東北のお酒だとか、静岡の「磯自慢」とか、そういう美味しいお酒を持ち込んで、残ったらそのままお店に置いていくんです。

僕の知り合いで「今度『かとう』さんのところに行きますよ」って連絡があると、店主の加藤さんに「知人が行くので、この前置いていったお酒を飲ませてあげてください」というふうに伝えておく。すると僕が置いていったお酒をその人たちが飲んでくれる。それが連鎖になって、その人たちも次に行くときにはお酒を持って行く。中世の贈与経済みたいですよね(笑)。

「マイ馬上杯」で差しつ、差されつ

宮城大学で作られた馬上杯

酒器も布にくるんで鞄に入れて、「マイ杯」としてお店に持っていったりします。

この杯、粋な形をしていますよね。仙台にある宮城大学で作られている杯です。「馬上杯」といいまして、まさに仙台藩主・伊達政宗も馬上の漢詩を作っていますが、持ち手があるので、鎧兜(よろいかぶと)を身に着けて馬の上にいても、安定してお酒が飲めます。お酌もしやすいんですね。少し持ち上げるだけでいい。理にかなった形をしているなと思います。

乾漆で作られた三角形の杯の部分も、すごくきれいだなと思いますね。白と赤の杯が一緒になっていて、差しでお酒を飲むときにぴったりです。乾漆というのは本来、麻布や和紙に漆を厚く塗り重ねて造形していく技法なのですが、これはその技法を生かしつつデジタルファブリケーション*で造形されたもので、杯の下に行くほど厚みが加わって、中が空洞(中空構造)になっているんです。ですから、熱燗のときは熱さを、冷酒のときは冷たさを保ってくれます。

馬上杯の杯の部分は三角形

持ち手の部分には、宮城県登米市の山の中で伐り出されたものの、活用の場が限られているために「未利用材」となっていたシデやクヌギが使われています。地元の高品質な木材をもっと有効に使おうということでしょう。しかも、脚の底には非接触タグが乾漆で埋め込まれていて、スマートフォンの画面にかざすと、この杯の制作ストーリーページにつながる仕掛けになっているんですよ。

*デジタルファブリケーション:デジタルデータをもとに、3Dプリンターやレーザーカッターなどの工作機械で物を造形する技術。

酒器にたゆたう景色も味わい

最近はちょっといい感じのお店に行くと、ワイングラスで日本酒を提供されることもありますね。でも僕は、ワイングラスで日本酒を飲むのが好きじゃないんです。ワイングラスはワインの作られる地域によって形が違いますが、どれぐらい香りを含むことができるのか、あるいは酸素にどれぐらいワインを露出させるかによって、それぞれの地域のワインに合うように形が決まっています。日本酒も香りは味わうけれども、ワイングラスのような大きな器に入れれば美味しく感じるかと言われると、そうではないと思います。僕にとって、どんな器でお酒を飲むかはすごく大事です。

例えばこの平杯は福井・黒龍酒造の蔵元、水野直人さんに頂いたものですが、こういう平べったいものや小ぶりの酒器のほうが、お酒をぐいっと飲めますよね。李白じゃないですけれども、ちょっとお酒の表面が揺れて、そこに月が見えたり、色んな景色が見えたりして、それをぐいっと飲むのはやっぱりいいですね。

福井・黒龍酒造の水野直人さんから頂いた平杯

大事なことはいつも酒席で語られる

お酒というのは、昔から大事なコミュニケーションツールでした。明治維新へと向かう幕末の時代、京都は全国の若い武士や商家たちが集まって、国事などを協議する総合大学のような街になります。そんな時代に、お酒を上手に飲むための指南書が書かれました。例えば、いかに美味しく健康に飲み続けられるか。それから、お酒を飲みながら政治的な話や商売上の大事なことを取り決める際に不可欠だった「微酔」、つまりほろ酔いについて指南した本です。どういうふうにしてお酒を飲むかは、幕末の志士たちの間では必須の渡世術だったんですね。

ロバート キャンベルさんトークカット

今、僕は「せんだいメディアテーク」という文化施設の館長をしているのですが、その打診をいただいたのも、お酒の席でした。

ある日、前館長で哲学者の鷲田清一(わしだきよかず)さんから「ちょっと話を聞いてほしい」と電話があり、指定された「帝国ホテル 東京」のバーに行ってみると、鷲田さんとメディアテークの副館長、アーティスティックディレクターの甲斐賢治(かいけんじ)さんが洞窟のような空間で待っていて。みんなでシェリー酒を飲んでいるうちに、だんだんどういう話なのかが分かってきました。こういう大事なことはすぐにはYESともNOとも言わず、「持ち帰ります」と言う悪い知恵がついているので、あっそうですか、じゃあこれはこういうことですか、こうなったらどうなるんですか、と聞いたりして、返事するのをなんとか避けていたんです。でも3人は、僕がまるで金魚鉢の外に飛ばされた金魚のようにあぷあぷして話しているのを、明らかに愉快そうに聞いているんです。別次元にワープしたような時間でした。その時のシェリーの味とか香りだけすごく記憶に残っていますね。

街の隅々まで泳げる水路を作る

ロバート キャンベルさんが愛用する馬上杯

「せんだいメディアテーク」は市民図書館やギャラリー、イベントスペースなどが入るガラス張りの施設で、毎日3,000人くらいの市民が多目的に利用しています。常に色んな用事のある人たちが交差し、色んな声が聞こえてくる。

僕はラジオが好きなのですが、「せんだいメディアテーク」自体を音声番組にしたらどうかと考え、1年をかけて地元で協賛企業を募りました。実は、馬上杯をくださった宮城大学さんもその番組のスポンサーの1つです。彼ら、彼女たちが持っている視点やネットワークで、一緒になって番組を作ってくれる。番組は、街の隅々まで泳げる水路のようなものです。おかげで本当に素敵な出会いがあって、その1つがこの馬上杯なんです。

※記事の情報は2026年11月4日時点のものです。

Photo: Ryo Shirai

Text: Tomoko Aki(On Drinking)