On the Journey紀行特集

奈良、お酒のはじまりを訪ねて

「僕はこの町に観光に来たいと 思えなかった。だからビールを つくることにしたんです」

03.洞川温泉醸造所

洞川温泉醸造所・銭谷貴大さん

古くから修験道の基地として栄えてきた奈良・洞川(どろがわ)温泉で、クラフトビールをつくる人がいる。洞川温泉醸造所の銭谷貴大(ぜにたに たかひろ)さんだ。先祖代々続く薬屋の5代目として店を継いだ銭谷さんが、なぜビールをつくることにしたのか。その物語をのぞいてみた。

洞川温泉醸造所 代表
銭谷貴大 さん

奈良県天川村生まれ。洞川温泉で代々続く薬屋「銭谷小角堂」の五代目。薬学部卒業後、国家試験予備校の講師を経て帰郷し家業を継ぐ。地域の観光協会活動にも携わるなか、洞川の魅力向上を目指してクラフトビール事業を立ち上げ、2022年より「洞川温泉醸造所」で自社醸造を開始。洞川温泉の風土と文化を生かしたビールづくりに取り組む。


洞川温泉醸造所の位置を示す地図

修験道の町、洞川温泉へ

洞川温泉醸造所の位置を示す地図

奈良市内から車を走らせること約2時間。いくつもの峠を越えた先に、洞川温泉が見えてくる。

この小さな温泉街は、古くから修験道の聖地として知られる大峯山(おおみねさん)の麓にある。春になると、白装束の行者たちが町を訪れ、山を目指す。下駄と熊よけの鈴の音が、静かな町に響く。

6時間ほどの山修行を終えて町に戻った行者たちは、この地の湯で疲れを癒し、夜になると提灯の灯った通りを闊歩する。そして小さなカウンターで、ビールグラスを傾ける。

洞川温泉醸造所。ビールをつくっているのは、洞川温泉で代々薬を扱ってきた家に生まれた銭谷貴大さんだ。生まれは、天川(てんかわ)村洞川。高校がないこの辺りでは、中学を卒業したら町を出るのが習わしだ。

洞川温泉の街並み

銭谷

「僕も同じで、高校から村を出ました。で、ほとんどの人は帰ってこないですね。大学は関東です。薬学部でした。うちは本業がお薬屋なので。大学を出てからもすぐ帰ってきたわけじゃなくて、一度は人様の釜の飯を食う、じゃないですけど、よそで仕事をしてから帰ってくるっていう家の方針があったので」

大学卒業後2~3年は、薬剤師の国家試験のための専門学校で講師をしていた。その後、小さくない抵抗感を抱きつつもこの村に戻ってきた。

銭谷

「まあ、僕らお薬屋や旅館の息子さんたちは、『いつか後を継げ』みたいなことを子どもの時から言われ続けているので。でも高校や大学でよその街に行くと、やっぱり華やかというか、村とは違うところに出るので、『帰りたくないな』という気持ちももちろん多分にあって。最終的には、みんな折り合いをつけて帰ってこなきゃ駄目なのかなという感じですね」

洞川温泉街から奥へ進んだ場所にある清浄大橋

かつては町総出で
行者たちを迎えた

世界遺産にも登録された、奈良・吉野と熊野三山を結ぶ約170kmにおよぶ大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)。そのルート上にある山上ヶ岳(さんじょうがたけ)は修験道発祥の地とされている。今では日本全国で唯一となった女人禁制を守る修行の場。5月3日の山開きから9月23日の山じまいまで、白装束姿の男たちが心身を鍛えるべく薄暗い杉林に入っていく。

「女人禁制」と刻まれた結界門

銭谷

「僕らが子どものころは、行者さんがすごく多かったんです。昔は全国各地から何百人と団体で来るので、旅館に入りきらなくて。一般の家やお豆腐屋さんの2階とかに泊まる人もいたと聞きます。行者さんって、もちろん信仰として来られる方もいますが、男らしさを求めて来る人もいる。威勢がいいというか、喧嘩っ早い人も多かったですね」

もちろん現在でも、春になればこの地を訪れる修験道者たちは一定数いる。けれど、その数はひと頃に比べずいぶん減ったそうだ。

取材で訪れたのはまだ名残雪が舞う3月のはじめ。温泉街を行き交う白装束姿は見られなかった。代わりに、大学生とおぼしきグループや若いカップル、小さな子どもの手を引いた家族連れをよく見かけた。

1300年続く和漢胃腸薬
「陀羅尼助丸」

修験道と温泉以外に、洞川の地で脈々と受け継がれる文化がもうひとつある。「陀羅尼助丸(だらにすけがん)」だ。温泉街にはこの看板を掲げた薬屋が軒を連ねる。銭谷さんが店主を務める「銭谷小角堂(ぜにたにしょうかくどう)」も代々この薬を扱っている。

銭谷小角堂の店先

陀羅尼助丸は、キハダの樹皮を主原料にした和漢胃腸薬。もともとは過酷な修行を行う行者たちが、自分のために作っていた薬だとされている。それが万能薬として一般庶民にも広がっていった。

陀羅尼助丸

銭谷

「一説では1300年くらいの歴史があると言われています。医薬品の法律より古いので、お薬というよりは家内工業というか、わらじを編んだり、傘を張ったりするような感じで、この辺の人は山が閉じる冬場はお薬を作っていたんです」

現在、洞川で陀羅尼助丸を扱う店は13軒にまで減少したが、最盛期は50軒くらいあったそうだ。銭谷さんの幼少期は、その勢いが残っていた最後の時代だ。

銭谷

「居酒屋だとか喫茶店がない時代、行者さんたちはお薬屋さんにお茶を飲みに来ていました。僕が子どもの頃も、宴会後はお薬屋さんで一服をしながら、買い物をするっていう慣習が残っていまして。幼心にですけど、なんか怖いおっさんがいっぱい来て、お薬を買っていくなぁと(笑)。面倒くさいなと思いつつも、店番の手伝いをしていた記憶はありますね」

透明度の高い山上川

「自分が観光客だったら、
この町は楽しいのか?」

現在、銭谷さんは商売の傍ら、町の観光協会の活動にも携わっている。誰かがやらなくてはならない、地域活性のためのあれやこれや。町にとっては希少な働き盛り世代ということもあり、その役目がおのずと回ってきたのだ。

銭谷

「でも客観的に見たときに、別に僕はこの町に観光に来たくないなと思って。温泉はあるけど、夜に飲みに行くところもないし、遊ぶところもない、雨の日に過ごす場所もない。親子で来ても何するんやろう?みたいな。

行者さんは毎年同じ時期に来てくださってお金を使ってくれるので、この町がずっとそれに甘えていた部分もあると思うんですよね。でも本来は、行者さんも毎年何か違うものがあった方がうれしいのかもしれないし。行者さんと一般観光にいらっしゃるお客様のバランスが変わってきた時に、もし観光客として自分が来たら、この町は楽しいのか?と考えたんです」

洞川温泉醸造所の成り立ちについて話す銭谷さん

きっかけは「水」だった。この地には「ごろごろ水」という湧水があり、名水百選にも選ばれている。大阪あたりからも水を汲みに来る人がいるくらい、関西地域では知られている。

ごろごろ水の碑

そういえば、取材の前日に泊まった宿の横も清らかな小川で、終始水の流れる音が絶えなかった。町の中央を行く山上川(さんじょうがわ)では、ニジマスが悠々と泳いでいる姿が見られる。初夏には蛍も舞うそうだ。

岩の間からしみ出る湧水

銭谷

「観光客の方が『水が有名な場所ならクラフトビールあるんでしょ?』ってよく聞くんですよ。でも、ない。そういう声を結構聞いたので、商工会の人と『誰かクラフトビールやったらいいのにね』って話してたんです。でも、誰もやらない。じゃあ自分でやってみるか、という感じです。僕自身もともとビール党だったので」

山とともに生きる町で
生まれたクラフトビール

最初はOEM(委託製造)でクラフトビールづくりを始めた。2020年に発売すると想像を超える売れ行きで、ついにはOEM先の生産が追いつかなくなってきた。どうしようかと思案しているうちにコロナ禍になった。

その頃、コロナ禍でチャレンジする企業を応援するという名目で、国から補助金が出ていた。銭谷さんはその“ラッキーな”補助金を利用して設備を入れ、ネットで調べたり人に教わったりしながらビールづくりを勉強し、2022年ついに洞川の地で自社ビールの醸造を開始した。

山わらうエール

洞川温泉醸造所のビールには、「山わらう」「山したたる」「山よそおう」「山ねむる」という名前がつく。いずれも山にまつわる季語だ。

銭谷

「この町は四方全部山ですし、大峯山の麓でもあります。だから地元の人にとっては、4月1日が1年の始まりという感覚じゃなくて、5月の山開きが1年の始まりなんです。修験道の人たちが山に入る、そのタイミングで町も動き出す感じがあるので。

その山開きを祝うビール、ということで最初につくったのが『山わらうエール』です。その後に四季で展開していこうか、という話になって。夏が『山したたるエール』、秋が『山よそおうエール』、冬が『山ねむるエール』。もちろん、全商品ごろごろ水で仕込んだものです」

洞川温泉醸造所の商品ラインナップ

「山ねむる」は黒ビールで、陀羅尼助丸の原料でもあるキハダの実の部分を使っている。青黒い小さな実で少し苦味があり、柑橘や山椒のような香りがするという。「山したたる」は、地元の夏いちごを使ったフルーツエール。この辺は標高が高いので、夏でもいちごが作れるそうだ。「山よそおう」は、やや赤みがかったレッドIPA。山シリーズではないが、「大峯修行IPA」というホップが多めのビールもつくっている。

湯上りのほてった体で、地元の湧水を使ったできたてのビールぐいと飲み干す。ここでしか味わうことのできない時間だ。

タップからグラスにビールを注ぐ
洞川温泉醸造所のタップルームでビールを楽しむ観光客

修験道の町に灯りを取り戻す

洞川温泉醸造所のカウンターには、今ではいろんな人がやってくる。地元の人、遠来から訪れた観光客、そして白装束の行者たち。この顔ぶれこそが、町のこれからの風景になるだろう。

銭谷

「地元の人たちとの活動によって、ここ数年で町に灯りが増えてきました。地元のおじいちゃんやおばあちゃんからも、『昔は行者さんが多くて夜中までずっと灯りがついてた。それが戻ってきたみたいで嬉しい』とか『途中の村を越えて帰ってきた時に、うちの村が明るいのが嬉しい』と言ってくれるようになったんですよ

やっぱり修験道とか行者の文化は、この町の背骨だと思います。それがなくなったら、洞川じゃなくなってしまう。でも、それだけでは生活できない。なので、いろいろ試していくしかないですね。クラフトビールやタップルームがどれだけ役に立つかはわからないですけど、これからもこの町の灯りの1つになれたらと思います」

笑顔の銭谷さん

※記事の情報は2026年7月15日時点のものです。

洞川温泉醸造所のタップ

洞川温泉醸造所

住所
奈良県吉野郡天川村洞川226
電話
0747-64-0046(銭谷小角堂)
営業時間
15:00~22:00(LO21:30)
土日・祝日は13:00〜22:00(LO21:30)
定休日
木曜日
Photo: Shoko Takayasu Text: Tomoko Aki(On Drinking)
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