On the Journey紀行特集

奈良、お酒のはじまりを訪ねて

「『風の森』の魅力は、硬水由来の とろっ、生酒由来のとろっ」

02.油長酒造〈前編〉

油長酒造の蔵主、山本長兵衛さん。「水端(みづはな)」を醸す享保蔵(きょうほうぐら)の前で

奈良県御所市にある創業1719(享保4)年の蔵元、油長酒造(ゆうちょうしゅぞう)。代表銘柄「風の森」は全品生酒で、その独特な微発泡と複雑な味わいで全国の日本酒ファンを魅了してきた。2018年には大和蒸溜所を立ち上げ、「橘花KIKKA GIN」の製造・販売を開始。奈良の新たな味わいを蒸留酒として表現している。第十三代蔵主 山本長兵衛(やまもと ちょうべい)さんに油長酒造の酒づくりの原点とこれまでの歩みを伺った。後編「どうしたら安全にお酒をつくれるかを考え抜いた人たちがいた」

油長酒造 第十三代蔵主/代表取締役
山本長兵衛 さん

関西大学工学部生物工学科卒業、阪急百貨店に就職、2008年に家業である油長酒造に入社。2014年から同社の13代目として代表取締役を務める。2019年、創業300周年を機に長兵衛を襲名。中学校から大学まで一貫校に進学後、中学(バスケットボール部挫折後は司馬遼太郎、Macintoshにハマる)、高校(ヨット部)、大学(航空部)に没頭。個人プレイが得意な反面協調性がない状態で油長酒造入社後、酒造りの現場で協調性の大切さと感謝の気持ちを学ぶ。「酒造りを通じ100年先に美しい日本を伝える」ことを目標に、3つの酒蔵と蒸溜所を拠点に活動。


油長酒造の位置を示す地図

「風の森」が生まれた転換点

油長酒造の位置を示す地図

奈良駅から電車を乗り継いで50分ほどで油長酒造のある御所に到着する。御所は「ごせ」と読む。関西の人でないと難読の地名。油長酒造といえば、日本酒好きの人ならば「風の森」を思い起こす人が多いだろう。搾りたての鮮度を感じるシュワシュワ感と豊かな味わい。現在の日本酒シーンを代表する銘柄の1つだ。

油長酒造の母屋

油長酒造が生酒である「風の森」を中心にしたラインナップへと挑戦し始めたのは、1990年代の終わりだった。当時は、大手酒造メーカー向けの桶売り(おけうり)*1が中心。大量に造り、大量に出す。商売としては成立していたが、「自分たちの酒を造っている」という感覚は薄かったという。

*1 桶売り:日本酒や焼酎の製造において、ある酒蔵が製造した原酒を、他の酒蔵や販売業者に「桶(タンク)」で販売する仕組みが桶売り。購入(桶買い)した蔵では通常、複数の蔵から仕入れた原酒をブレンドして自社製品として販売する。お酒の世界のOEM(相手先ブランド供給)。

山本

「このまま桶売りを続けていくのは先々怖いよね、という危機感が、父親、第11代蔵主の山本長兵衛にあったと思います」

そこから取り組んだのが、「風の森」だった。まずは地元で、搾りたての生酒を売ってみる。その試みが、現在の全国区での「風の森」の人気へと広がっていく。

油長酒造の母屋入口に下げられた杉玉

生酒、超硬水、奈良の米

山本

「『風の森』の個性を形づくる要素は、大きく生酒、超硬水、奈良の米の3つです。『風の森』シリーズは全部生酒です。火入れしないことで、発酵由来の複雑さとか躍動感をそのまま残せる。そこに超硬水が入る。うちの水は蔵の地下深くから汲み上げる硬度*2 が250を超える超硬水です」

*2 硬度:水1L中に溶けているカルシウムとマグネシウムの量を表わした数値。WHO(世界保健機関)の基準は、硬度が60mg/L未満を「軟水」、60~120mg/L 未満を「中程度の軟水」、120~180mg/L 未満を「硬水」、180mg/L以上を「非常な硬水」と分類している。

これを聞いて思わず、「強い硬水というのは酒づくりに不向きって言われますよね」と口に出たが、それは愚問だったようだ。

山本

「そう言う人も多いですけど、日本では軟水が多数派なだけで、硬水でも美味しい酒はつくれますよ。全然問題ないです」

山本さんは、硬水と軟水でつくられる酒質の違いはテクスチャー(質感、手触り、きめなど)の違いに現れると言う。

超硬水で醸す「風の森」の代表銘柄「風の森 秋津穂657」
超硬水でつくる「風の森」。写真は「風の森」の代表銘柄である「風の森 秋津穂657」(精米歩合65%、内容量720ml)
「風の森」のラインナップ

山本

「硬水はとろっとしていて、ずしっとしている。軟水はさらっとしていて、しゃきっとしている。例えて言うたら、コンソメスープ作ってそのまま飲むか、ちょっと葛(くず)溶いてとろっとさせて飲むか。味の構成要素が一緒なのに、とろっとしてる方が舌の上に乗っかってる時間が長いおかげで、味が濃く感じたり、味がリッチに感じたり、人によっては美味しく感じたりっていうことがあります。テクスチャーリッチにできることが、僕が考える硬水由来の最大のメリットです」

その感覚を、山本さんは「(音響機器の)アンプみたいなもんです」とも表現する。

味をブワンと持ち上げ、すっと消える

山本

「味をブワンと持ち上げてくれる。でも、飲み込んだ後はすっと消える。だからまた飲みたくなる。それが『風の森』の魅力やと思ってます」

理解が追いつかない筆者の顔を見て、山本さんはゆで卵と生卵に例えて説明してくれた。

山本

「火入れの酒と、生の酒って、ゆで卵と生卵の白身みたいなもんです。搾りたての生酒の液体の中にはタンパク質がいっぱい溶けてるんですよ。それ、火入れしたら、卵の白身みたいになる。だから、生酒って、火入れで仕上げたお酒よりもとろっとしてるんです。硬水由来のとろっ、生酒由来のとろっ」

さらにもう1つテクスチャーが加わる。それが搾りたてならではの微炭酸ガスの効果だ。

山本

「普通の水を飲んでから、炭酸水飲んだら、炭酸水って酸味とかを感じますよね。本当は味の成分は一緒やのに、濃いもん飲んでるような気するでしょう。あれと一緒の効果があるんですよ。だから、とろとろ、にシュワッで味わいを増幅させてる。それが『風の森』の魅力の1つです。ふだんこんな話しせえへんけど、そういうことなんです」

油長酒造最古の建築物「享保蔵」では甕仕込みの「水端(みずはな)」を醸している

個性豊かな3つの蔵

原料米も奈良県産が軸だ。葛城山麓の契約農家の田んぼで育つ飯米(食用米)「秋津穂(あきつほ)」、酒米(酒造好適米)の「露葉風(つゆはかぜ)」と「奈々露(ななつゆ)」。使用米の85%ほどを奈良県産米が占めるという。

山本

「原料の米が違う。入ってる水が違う。そこが違えば、やっぱり酒も変わるんです。細かいつくりの話以前に、まず原料そのものが違う。それが『風の森』の個性ですね」

酵母は全て7号酵母で統一している。華やかさを過度に追わず、飲み続けやすい酒を目指した結果だった。

山本

「めちゃくちゃ華やかではないけど、飲み続けやすい。派手すぎないから、飲んでいて疲れない。料理にも合わせやすい。そこがええなと私も思ってます」

現在、油長酒造は3つの酒蔵でそれぞれ特徴的な日本酒を醸している。

1つ目が「御所まち蔵」で、主力商品「風の森」を醸造している。2つ目は敷地内の油長酒造最古の建築物「享保蔵(きょうほうぐら)」。江戸時代、享保年間に建てられた創業時の蔵を改修した蔵で、2021年から「水端(みづはな)」を醸造している。「水端」は菩提酛研究会が1998年に復活させた室町時代の菩提酛づくり*3で、木樽ではなく甕(かめ)を使って仕込んでいる。

*3 菩提酛づくり:室町時代中期に奈良の菩提山正暦寺(ぼだいせん しょうりゃくじ)で確立されたと伝わる日本最古の清酒づくり技術。生米を2日間ほど仕込み水に浸けて乳酸菌を繁殖させた「そやし水」を酒母の仕込み水に使うことで雑菌の増殖を抑える。搾り、火入れなど、当時の先端の清酒技術も取り入れられ、正暦寺は日本清酒発祥の地とも言われる。一度途絶えたが、1998年1月、正暦寺と奈良の酒蔵有志、奈良県工業センター(現・奈良県産業振興総合センター)による「奈良県菩提酛による清酒製造研究会(菩提酛研究会)」が協力して復活させた。

山本さんが手に持つのは享保蔵でつくられた「水端 1568」
山本さんが手に持つのは享保蔵でつくられた「水端 1568」。興福寺でつくられた僧坊酒の技法を参考にした冬季醸造三段仕込み
水端(みづはな)

そして、2024年に3つ目の酒蔵として葛城山麓醸造所、通称「山麓蔵(さんろくぐら)」が建造された。御所まち蔵から車で15分ほどの風の森峠の近くに誕生したこの蔵は、吉野杉を使った木造建築。御所市在住の建築家、吉村理(よしむら・ただし)さんが設計し、やはり地元の大工さんと左官職人が建設と漆喰(しっくい)塗装を担当した美しい建物。蔵のすぐ目の前には地元の米「秋津穂」を栽培する棚田が広がり、そのはるか遠方を見やれば吉野の山なみが連なる。ため息が出るような美しい景観だ。

葛城山麓醸造所、通称「山麓蔵(さんろくぐら)」
葛城山麓に建てられた通称「山麓蔵」の前には酒に使う米「秋津穂」を栽培する棚田が広がる
葛城山麓醸造所(山麓蔵)でつくる「S風の森」
山麓蔵でつくる「S風の森」。原料米の秋津穂を栽培する農家別にラベルデザインも作り分けている
S 風の森

ここで醸造する「S風の森」は地元秋津穂の生産者ごとの米にこだわり、あえて精米歩合を90%程度(食用米程度=削る部分は10%程度)にとどめて醸造している。ここでは里山を残すための新たな試みプロジェクト「風の森里山コミュニティ」にも取り組んでいる。
(詳しくは「風の森里山コミュニティ」)

奈良の酒を、もう一度学ぶ

山本さん自身は、蔵を継ぐことを物心ついた頃から自然に受け入れていたという。大学では微生物を学ぼうと理系の学部に進学したが、「文系分野への興味は尽きません」と語る。確かにこの取材の中でも多くの古文書などを手に酒の歴史を語る姿は歴史学者のようだ(⇒後編でその語りをお読みください)。

「実家に戻ったら理系の仕事ばかりになるだろうから、それまでは別な世界、流通の仕事とか面白そうだな」と考えて、大学卒業後、大阪市内の大手百貨店に入社。最初の配属はジュエリーを担当、その後、洋菓子売り場に異動して催事やイベント運営を経験した。

山本

「百貨店勤務時代に、売場をどうつくるか、どう見せるか、どう伝えるか。売るってこういうことなんやな、という感覚やコミュニケーション力はだいぶ身に付きました」

山本長兵衛さん。風の森峠近く、葛城山麓に開いた棚田の畔で

先代が「風の森」を立ち上げた同時期に、奈良の蔵元の有志が集まり新しい試みが始まっていた。1996年に立ち上がった「奈良県 菩提酛による清酒製造研究会(菩提酛研究会)」である。この研究会には奈良市内の古刹(こさつ)、菩提山正暦寺、奈良県工業センター(現・奈良県産業振興総合センター)の技術者も参加した。

「山麓蔵」の前の棚田。すぐ近くに風の森峠、遠方に吉野の山並みが連なる

菩提酛づくりの復活

山本

「奈良で酒つくるんやったら、奈良らしいことを勉強せなあかんやろ、という感じだったのだと思います。菩提酛で一旗揚げようとか、そういう話やなくて。奈良の酒って何なんやろう、奈良でつくる意味って何なんやろう、そこを勉強していた感じです」

研究を進める中で、正暦寺境内の湧き水から、そやし水に向いた乳酸菌(正暦寺乳酸菌)や酵母が実際に見つかった。その乳酸菌は、生の米から短時間で強い酸性環境をつくるほど力の強い菌だった。

山本

「文献に書いてあることが、科学的にも実証された。歴史の中だけの話やなくて、奈良の土地だからこそ、この技に挑戦できるんや、という実感になったんだと思います」

1997年12月に正暦寺は日本の寺院で初めての酒母製造免許の交付を受け、翌年1月に正暦寺敷地内で室町時代の菩提酛づくりを復活させた。ここでつくられた酒母(酛)である菩提酛を各蔵元が持ち帰り、手を加えて各蔵独自の菩提酛づくりの日本酒をつくってきた。油長酒造でつくるのは、御所まち蔵の「鷹長(たかちょう)菩提酛純米酒」だ。また、現在、「風の森」のALPHAシリーズや享保蔵の「水端(みづはな)」では自社でつくる菩提酛を使用している。

山本

「父親の世代の方々が菩提酛づくりを復活させてくれたことはありがたかったです。そのおかげで、僕らも今、これをさらに深掘りし、現代の酒づくりに生かすことができますから」

奈良のバーで発想した
「橘花KIKKA GIN」

油長酒造の挑戦は日本酒にとどまらない。油長酒造の敷地に大和蒸溜所を建造して、2018年、「橘花KIKKA GIN」を世に送り出した。評判は上々、バーテンダーから一般の愛好家まで幅広い支持を得ている。クラフトジン事業のきっかけは、山本さんが海外の友人から受けた電話だった。

山本

「奈良に家族で行くから『奈良のバーに連れてってよ』と言われたんです。えっ、奈良でいいバーなんかあるかなって返したら、『いや、奈良ってバーの聖地でしょう』って」

油長酒造の事業の1つ、大和蒸溜所がつくるクラフトジン「橘花KIKKA GIN」
「橘花KIKKA GIN」の白いガラス瓶は、江戸時代のコンプラ瓶(醤油の輸出に使われた陶製の瓶)を模している
橘花KIKKA GIN

山本さんはつてをたどり、奈良・桜井市の「THE SAILING BAR」を訪ねた。マスターバーテンダー、渡邉匠(わたなべ・たくみ)さんは世界最大級のカクテルコンペティション「Diageo World Class 2010」日本予選優勝、世界大会総合9位に輝くなど国際的にも評価の高い人物だ。

山本

「友だちを連れてお店に伺い、奈良にもこんなにすごいバーがあるんやって初めて知りました」

バーの棚には世界中の名だたる蒸留酒が並んでいる。たまたま座った席の前は一棚が全てジン。ボトルを眺めながら山本さんは考えた。

山本

「ここには奈良のお酒がないなあと。ジンでもラムでもウオッカでもええから、奈良産があって、こういう世界トップクラスの方が発信してくださったら、僕らが日本酒売るのとはまた違う角度から “奈良”が世界に広まるだろうなと思いました」

これがきっかけとなり、たびたび渡邉さんを訪ねるようになる。バーで社員と話す中で具体化していったのが「橘花KIKKA GIN」の製造だった。ジンの香りや味を左右するボタニカルの原料探しには渡邉さんのサポートも仰いだ。

クラフトジン「橘花KIKKA GIN」をつくる大和蒸溜所の蒸留機
大和蒸溜所の「橘花KIKKA GIN」を製造する蒸留機

山本

「奈良には古くから薬草文化があり、『日本書紀』には推古天皇が薬猟(くすりがり)を行ったという記録も残っています。大和当帰(やまととうき)*4、大和橘(やまとたちばな)*5といった奈良古来の植物を使い、奈良特有の香りや薬草文化を考えたときに、クラフトジンを製造する大和蒸溜所の存在理由があると思いました」

*4 大和当帰:「当帰」はセリ科の多年草木。根の部分は生薬として漢方薬に使用される。

*5 大和橘:日本最古とも言われる直径3~4cmほどの柑橘。

山本さんが繰り返したのが、「酒づくりを通じて、100年先に美しい日本を伝えていきたい」というフレーズ。おそらく日本を奈良に置き換えてもいいのだろう。油長酒造は、奈良の水、米にこだわり日本酒づくりを、奈良のボタニカルにこだわりクラフトジンづくりに取り組んでいる。

「日本人らしい、日本人にしかできない酒づくりを研ぎ澄ませていきたい」と語る山本さんの次の一手は、何だろう。

後編「どうしたら安全にお酒をつくれるかを考え抜いた人たちがいたへ続く 後編では奈良が日本清酒発祥の地と言われているその歴史的背景について、山本長兵衛さんにご教示いただきます。

※記事の情報は2026年7月15日時点のものです。

油長酒造の母屋

油長酒造

住所
奈良県御所市1160
電話
0745-62-2047
葛城山麓醸造所、通称「山麓蔵(さんろくぐら)」

葛城山麓醸造蔵

住所
奈良県御所市伏見481-1
クラフトジン「橘花KIKKA GIN」をつくる大和蒸溜所の蒸留機

大和蒸溜所

住所
奈良県御所市1160
Photo: Shoko Takayasu Text: Akira Suzuki(On Drinking)
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