On the Journey紀行特集

奈良、お酒のはじまりを訪ねて

「ビールづくりは、僕にとって 楽しくてたまらない世界」

06.FARMENTRY

「FARMENTRY」のブルワー・西崎翔さん

クラフトビールは、原料の多くを輸入に頼ることから、ワインのように土地の個性を語りにくい酒だと言われる。しかし、奈良県橿原(かしはら)市の静かな住宅街に、土地の空気や歴史、目に見えない野生酵母までを一本のボトルに映そうとするブルワリーがある。2024年に醸造を始めた「FARMENTRY」だ。ブルワーの西崎翔(にしざき しょう)さんは、科学者のような眼差しで「発酵」と向き合いながら、ビールづくりを「楽しくてたまらない世界」だと語る。その熱の源を訪ねた。

FARMENTRY CEO & HEAD BREWER
西崎翔 さん

奈良県五條市に生まれ育つ。大阪の医療専門学校を卒業後、新潟大学へ編入。奈良県橿原市にある奈良県立医科大学に放射線技師として就職するも、学生の頃より魅了されていたクラフトビールの世界へ進むべく、憧れのブルワリーである和歌山県田辺市の「ボイジャーブルーイング」へ転職。約6年間の在籍を経て、2023年10月に橿原市で株式会社FARMENTRYを設立。2024年8月に醸造を開始する。


FARMENTRYの位置を示す地図

暮らしに溶け込むスペシャルハウスラガー

FARMENTRYの位置を示す地図

夕方、奈良県橿原市の住宅街にあるクラフトビール醸造所に地元の人がふらりとやってくる。

月ごとにテーマの異なるできたてのIPAをタップルームで味わい、一息ついたら今晩の夕飯のお供に、地元でしか買えないハウスラガーを買って帰る。そんなゆったりとした光景が、このブルワリーの日常になりつつある。

「FARMENTRY」のタップルーム

「スペシャルハウスラガー」は、FARMENTRY(ファーメンタリー)の代表銘柄の1つだ。橿原の外には出さない。この土地で飲んでほしいビールだからである。

西崎

「地元の方に気軽に飲んでもらえる値段設計にしています。僕が“クラフトビール”という文化を好きになったのって、仲間でビールを注ぎ交わして楽しむ、そういう時間が入り口やったんですよね。その時間を一番体現してるのがこれなんです」

橿原近郊のみで流通している「スペシャルハウスラガー」。
橿原近郊のみで流通している「スペシャルハウスラガー」。ライトでキレの良い飲み心地ながら、ホップが華やかに香る

タップルームに隣接した元倉庫という鉄骨造りの製造所には、美しく磨かれた最新鋭の醸造設備と、「FARMENTRY」のロゴがクールに輝く巨大なタンクが並ぶ。

西崎

「この設備、商社を通さずに全部自分で設計して海外から直接輸入したんです。他のブルワリーの何分の1かのコンパクトな投資額ですけど、仕込みのキャパは十分。ここでしか飲めない、地元専用のスペシャルなビールをたっぷりつくれます」

マンションの扉を叩いて出会った、
スコットランドのエール

今でこそビールづくりに没頭する西崎さんだが、学生時代はビールがむしろ苦手だったという。そんな彼に、人生をひっくり返す出会いがあったのは20代の頃、住んでいたマンションでの出来事だった。

西崎

「当時僕が住んでいたマンションのすぐ下の階に、スコットランド出身の男の子が住んでいて。ある夜、友達を集めてものすごくうるさく騒いでいたんですよ。これはたまらんと思って、文句を言いに部屋のドアをノックしたんです」

西崎さんのインタビューカット

扉が開くと、そこは外国人たちで溢れ返る、熱気むんむんの宴の真っ最中。怒鳴り込むつもりが、「まあまあ、悪かったよ! 一緒に飲もう!」と勢いに押されて部屋へ招き入れられてしまう。そこで手渡されたのが、彼らが本国から持ち込んだ自家醸造(ホームブルーイング)のエールビールだった。

西崎

「それを初めて口にした時の感動が、とにかくすごかったですね。日本の金色の冷たいラガーとは違って、少しぬるくて褐色を帯びていて、紅茶とかパンとかビスケットみたいな香りと味がするんですよ。『世界にはこんなにも自由で、表現としての幅のあるお酒があるのか!』って。自分たちのレシピで自分たちが飲むビールをつくるクラフトビールの世界に、一瞬で引き込まれてしまいました」

FARMENTRY」のロゴがに輝く巨大なタンク

放射線技師の白衣を脱いで

その夜を境に、西崎さんのビールへの渇望は止まらなくなった。クラフトビールのルーツや多様な味わいを肌で感じるため、大学時代には休みを使って世界中を旅して回った。各地のパブやブルワリーを巡り、その土地のビール文化に触れる。そうして旅を重ねるほどに、自分の土地から、自分の手でビールをつくりたい、という思いが強くなっていった。

しかし、すぐにその道へ飛び込んだわけではない。学業では理系畑を歩んできた西崎さんは、一旦は放射線技師として橿原市にある奈良県立医科大学附属病院に就職し、医療の現場に身を置いた。それでも、ビール熱が消えることはなかった。当時から「将来は自分でお酒づくりの会社をやる」と周囲に公言していたという。

「FARMENTRY」の醸造室

有言実行。数年間の勤務を経て、いよいよ西崎さんは夢の方へ舵を切る。ビールづくりの確かな技術を習得するため、和歌山県田辺市にある実力派ブルワリー「ボイジャーブルーイング」の門を叩いた。

そこで過ごした6年間の修行時代で身をもって知ったのは、ビールづくりは華やかな仕事ばかりではないということだった。

西崎

「ビールの仕事って、つくって終わりじゃないんですよ。配達もするし、箱にも詰めるし、設備も洗うし。むしろ裏方の仕事の方が多い。でも、入り口から出口まで全部つながってる仕事なんやなっていうのを、ちゃんと体感できました」

それでも、いや、だからこそ、ますますやりたくなった。

西崎

「僕的には楽しかったですね。やってみて、より鮮明にやりたいなって」

大変さを知っても熱が冷めない。それどころか、むしろ輪郭が濃くなっていく。西崎さんにとってビールづくりは、そういう世界なのだ。

「日本酒のβ世界線」を
クラフトビールで表現したい

なぜ、醸造の地として橿原を選んだのか。西崎さんの答えは明快だ。

西崎

「奈良県といえば奈良市のイメージが強いかもしれないですけど、僕にとって橿原は歴史のロマンがぎゅっと詰まっている最前線。日本初の都である藤原京や、日本の始まりの地とされる明日香村もこのエリアにあるんです。そんな深い歴史の積層が今も風景の中に残っていて、少し街を離れればたくさんの自然もある」

ビールはワインとは異なり、輸入麦芽や輸入ホップを使うことがスタンダードであるため、土地の風土(テロワール)を表現することが極めて難しいとされる。しかし、新潟大学で農学を学び、日本酒の奥深い世界にも魅了されていた西崎さんの視点は一味違った。

西崎

「奈良は日本の清酒発祥の地。でも僕は考えるんですけど、もしも歴史のどこかで分岐点があって、日本酒ではなくビールがこの土地の伝統酒として進化していたら……。米がとれた日本では、その米にたまたま菌がつき、日本酒の文化が育った。けれど、同じ時代に麦も育てていたわけで、もし麦に菌がつき、酒になっていたら、別の流れがあったかもしれない。そんな『日本酒のβ世界線』を僕は表現したいんです。この橿原だからこそつくれる、世界中のどこを探してもない『非なるビール』が、絶対にできると信じています」

西崎さんは「あり得たかもしれない日本の酒」を、いまの橿原でクラフトビールとして表現しようとしているのだ。

「FARMENTRY」は鉄骨造りの古い倉庫を自分たちの手で改装してつくられた。

「野生酵母」で描き出す橿原のテロワール

その「β世界線」を具現化するために、西崎さんが目を付けたものの1つが「野生酵母(ワイルドイースト)」だ。

一般的なブルワリーは、純粋培養されたクリーンな乾燥酵母を使用する。一方で、FARMENTRYの製造所内には「ワイルドルーム」と呼ばれる隔離された特別な部屋が存在する。地元の山に自生する植物や花、空気中にいる菌を採取し、ビールづくりに適したものを選び、この部屋で育てていくのだ。

野生酵母が眠る木樽

酵母の採取と培養には、学生時代に培った理系的な技術が生きている。

西崎

「危険な菌を避けるために、まず甘い麦汁にウオッカなどを加えてアルコール5%ぐらいの培地を作るんです。そうして、例えばタンポポの咲き始めた花を摘んできて、その培地に落として、フタをして振って2〜3日置く。泡立ってきたら、そこにまた濃いめの麦汁を入れて微生物を増やしていくんです。ちょっとずつご飯をあげて、数が増えてきたらさらに大きい部屋に移す、みたいな感じですね」

野生酵母はコントロールが難しく、同じ結果が再現できないことも多い。ただ、その不確定性こそが面白さでもあり、毎回違う表情を見せてくれる。

西崎

「『つくる』というより、『見守る』や『導く』に近い感覚です」

麦汁の表面に浮いている酵母菌の膜
「ワイルドルーム」内に並ぶ木樽の中では、野生酵母を取り込んだ麦汁の発酵が進んでいた。写真は、麦汁の表面に浮いている酵母菌の膜

そうして見守り導いた野生酵母は、世界のどこにも売っていない、橿原の環境そのものが生み出した固有のキャラクターをビールに与えてくれる。

野生酵母を主体とした混合発酵によってつくられる「MIX CULTUREシリーズ」
野生酵母を主体とした混合発酵によってつくられる「MIX CULTUREシリーズ」

西崎さんの語るビールづくりは、まるで壮大な実験のようであり、終わりのない探検のようでもある。

「ビールの味だけでなく、
すべて丸ごと体験してほしい」

「FARMENTRY」という名前には、「farm(農)」「ferment(発酵)」「entry(入口)」という複数の意味が重なっている。そこには、単なるブルワリーにとどまらないあり方への願いが込められている。スペシャルハウスラガーを橿原の外へ出さないのも、その思想の表れだ。

西崎

「ただグラスに入ったビールの味だけを評価してもらうんじゃなくて、この橿原の空気感、ブルワリーの場の雰囲気、そういったものすべてを丸ごと含めて体験してほしいんです。海外の人がうちのビールを飲んだ時に『アメージング! 自分の土地にはない味わいだ』って驚いてくれる。それは、僕らがこの奈良の、日本の味をちゃんとつくれている証拠だと思うんです」

タップから出来立てのビールを注ぐ

住宅街の小さなブルワリーから、地元の人の食卓へ、遠くから訪れた人の記憶へ。西崎さんが醸しているのは、ビールそのものだけではなく、この土地で酒を楽しむ時間なのだ。その中心にあるのは、「楽しくてたまらない」と言い切れるほどの、まっすぐな熱である。

西崎さんポートレート

※記事の情報は2026年9月30日時点のものです。

「FARMENTRY」外観

FARMENTRY

住所
奈良県橿原市五井町197-5
URL
https://www.farmentry.net/
Photo: Shoko Takayasu Text: Tomoko Aki(On Drinking)
  1. 07.
    THE SAILING BAR 渡邉匠さん

    「奈良の酒の魅力の根源? それはこの地の歴史と自然でしょう」

    渡邉匠さん

    THE SAILING BAR

    奈良県桜井市吉備564-3 SHRビル5F

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  2. 06.
    FARMENTRY 西崎翔さん

    「ビールづくりは、僕にとって楽しくてたまらない世界」

    西崎翔さん

    FARMENTRY

    奈良県橿原市五井町197-5

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  3. 05.
    倉本酒造 倉本隆司さん

    知れば知るほど、「奈良には面白い酒がいっぱいあるやん」となります

    倉本隆司さん

    倉本酒造

    奈良県奈良市都祁吐山町2501

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  4. 04.
    木谷ワイン 木谷一登さん

    「ワインづくりは、究極の自己責任の世界」

    木谷一登さん

    木谷ワイン

    奈良県香芝市下田西3-219-1

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  5. 03.
    洞川温泉醸造所 銭谷貴大さん

    「僕はこの町に観光に来たいと思えなかった。だからビールをつくることにしたんです」

    銭谷貴大さん

    洞川温泉醸造所

    奈良県吉野郡天川村洞川226

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  6. 02.
    油長酒造 山本長兵衛さん

    「『風の森』の魅力は、硬水由来のとろっ、生酒由来のとろっ」

    山本長兵衛さん

    油長酒造〈前編〉

    奈良県御所市1160

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    「どうしたら安全にお酒をつくれるかを考え抜いた人たちがいた」

    山本長兵衛さん

    油長酒造〈後編〉

    奈良県御所市1160

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  7. 01.
    今西酒造 今西将之さん

    「この三輪という土地をそのまま表現する酒をつくらなあかん」

    今西将之さん

    今西酒造

    奈良県桜井市大字三輪510

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