On the Journey紀行特集

奈良、お酒のはじまりを訪ねて

「奈良の酒の魅力の根源? それは この地の歴史と自然でしょう」

07.THE SAILING BAR

「THE SAILING BAR(ザ セイリング バー)」マスターバーテンダーの渡邉匠(わたなべ たくみ)さん

奈良にこの人あり。桜井市に店を構える人気バー「THE SAILING BAR(ザ セイリングバー)」のマスターバーテンダー、渡邉匠(わたなべ たくみ)さん。渡邉さんのカクテルを味わい、会話を楽しみたくて、地元はもちろん、県外からも店を訪れるファンは多い。奈良に暮らして30余年、国内外の多彩なお酒を熟知する渡邉さんに、奈良という土地のお酒の魅力について語っていただいた。

THE SAILING BAR
渡邉匠 さん

岐阜県出身。大学進学を機に奈良県桜井市在住。会社勤務を経て1994年、「THE SAILING BAR」に就職。現在も同店でマスターバーテンダーを務める。2010年に世界最大級のカクテルコンペティション「Diageo World Class 2010」日本予選優勝、世界大会総合9位など、卓越した技術力と表現力は国際的に高く評価されている。また、同店から多くの有望なバーテンダーが巣立っている。「橘花KIKKA GIN」(大和蒸溜所)アンバサダー、奈良の日本酒メーカーとのコラボによるオリジナルカクテル開発など地元奈良の酒造各社との協業も積極的に展開している。


THE SAILING BARの位置を示す地図

奈良・桜井には何をするか決めて訪れる観光客が多い

THE SAILING BARの位置を示す地図
「THE SAILING BAR」のマスターバーテンダー、渡邉匠さん

奈良駅からJR万葉まほろば線に乗り、30分ほどで桜井駅に着く。駅前から「THE SAILING BAR」まではタクシーで5~6分。早速、タクシーに乗り込む。

「お客さん、どちらから? ああ、東京から。遠くからよくお越しくださいました。『THE SAILING BAR』には、歌手のAさんとか、俳優のBさんとかもお乗せしたことがありますよ。AさんやBさん、ご存じですか」

いずれも芸能界の大物スター。それは分かります。

「奈良は世界のトップクラスのバーテンダーを3人も出しているんです。ご存じですか」

ちょっと誇らしげ。そのトップバーテンダーとは、「THE SAILING BAR」の渡邉匠さん、奈良市の「Bar ‘Pippin’(バー ピピン)」の宮﨑剛志(みやざき つよし)さんと「LAMP BAR(ランプバー)」の金子道人(かねこ みちと)さんのことだ。

英国の大手酒類会社 ディアジオが主催する、「Diagio World Class」という世界規模のバーテンダーの競技大会がある。各国の予選を勝ち抜いたバーテンダーが国を代表して、カクテルの味や技術、独創性、表現力を競い合う。2010年に渡邉さん、2013年に宮﨑さん、2015年に金子さんがそれぞれ日本代表として世界に挑んだ。2010年から2015年までの6大会のうち3人が奈良のバーテンダーだった。

「THE SAILING BAR」のマスターバーテンダー、渡邉匠さん

桜井は「芸能発祥の地」、「木のまち」

渡邉さんがマスターバーテンダーを務める「THE SAILING BAR」は、国道沿いのテナントビルに入っている。路上から看板が見えるようなお店ではなく、知る人ぞ知るたたずまい。

渡邉

「この桜井周辺には、日本人も海外の方も落ち着いた年齢の観光客が多いです。目的意識があり、今回はここに行って、これを拝観して、どこでご飯食べて、ここで日本酒買ってとかね。何をするか決めて来られる人が多い。京都や大阪だと、とりあえず行ってみよう。で、着いてから何しよう? みたいなイメージがありますが、このあたりには、とりあえずで来る人は少ないんですよ」

桜井市は奈良県の中部に位置しており、日本最古の神社のひとつといわれる三輪の大神神社(おおみわじんじゃ)、真言宗豊山派総本山の長谷寺、中臣鎌足が祀られる談山神社(たんざんじんじゃ)など、歴史好きがそそられる古刹(こさつ)に事欠かない。

聖徳太子が百済(くだら/今の韓国)の帰化人・味摩之(みまし)から伎楽(ぎがく/仮面劇)を子どもたちに学ばせた「土舞台」もこの桜井市にあり、「芸能発祥の地」とも言われる。また、地場の産業としては、吉野の山々に近く、奈良県内の木材の集散地であり貯木場や製材所が多く「木のまち・桜井」という顔もある。

「THE SAILING BAR」のマスターバーテンダー、渡邉匠さん

岐阜県出身の渡邉さんと奈良との縁は大学進学から。学生時代に桜井市内のイタリアンレストランでアルバイトしたことがきっかけで、バーテンダーの仕事に興味を持つ。一度は岐阜に戻って会社に就職したものの、半年後には桜井市に引き返し、アルバイト時代の店のチーフバーテンダーが独立して開いた店で雇ってもらった。それが、今も働く「THE SAILING BAR」だ。

渡邉

「24、25歳くらいかな。バーテンダーという仕事を本職として生きていこうと覚悟を決めたあたりで、同業の友達も増えてきて、大会に出たりもして、お互い頑張ろうぜと。ようやく国内外の大会で優勝もする。この店と、桜井という土地、渡邉がセットになる。結婚をして、子どももできて、桜井市に根っこが生えて。気づけば30余年経ちました」

甕から木桶に代わって、奈良の酒は全国に知れ渡った

世界中の酒を熟知している渡邉さん。お酒のプロフェッショナルの目から、奈良のお酒の魅力について語っていただこう。

渡邉

「奈良のお酒の魅力の根源は、歴史と自然にあると思います。奈良には、平安時代の頃から日本酒づくりがありました。天理市と奈良市の間ぐらいにある菩提山正暦寺(ぼだいさん しょうりゃくじ)。菩提酛(ぼだいもと)*1の発祥の地であり、日本の清酒文化の発祥の地とも言われています。自然豊かなところで、何と言ってもいい水がある。そこから乳酸菌が見つかり、それを生かした菩提酛づくりと呼ばれた日本酒づくりをしてきました。酒母の原型、今の清酒づくりの原型があります。

酒づくりに適した水が豊富という環境があってこそ、日本酒の蔵元があり、ビールのブルワリーがある。ワインには水を加えませんが、山間部で原料のぶどうを栽培しているわけですから、やはり奈良の水が根源にある。この地にやって来た職人が発酵という技術を駆使して、よい酒をつくっていく。職人が居つけば、文化が生まれます」

*1 菩提酛づくり:室町時代中期に奈良の菩提山正暦寺(ぼだいせん しょうりゃくじ)で確立されたと伝わる日本最古の清酒づくり技術。生米を2日間ほど仕込み水に浸けて乳酸菌を繁殖させた「そやし水」を酒母の仕込み水に使うことで雑菌の増殖を抑える。搾り、火入れなど、当時の先端の清酒技術も取り入れられ、正暦寺は日本清酒発祥の地とも言われる。一度途絶えたが、1998年1月、正暦寺と奈良の酒蔵有志、奈良県工業センター(現・奈良県産業振興総合センター)による「奈良県菩提酛による清酒製造研究会(菩提酛研究会)」が協力して復活させた。

「THE SAILING BAR」のマスターバーテンダー、渡邉匠さん

室町時代に入ると、酒の仕込みの甕(かめ)が木桶や木樽に変わっていった。割れやすい甕と比べて、木樽は軽くて大型化できるし運びやすい。こうして飛躍的に大量の酒を全国に発送できるようになった。

渡邉

「木桶や木樽に使われる木材といえば吉野杉です。三輪山の杉は大神神社の神木として古来神聖視されてきて、三輪山そのものがご神体。今ある神道の古い形です。三輪山にある杉の木1本1本、葉1枚1枚に神が宿っているわけで。吉野杉のもとは三輪山の杉と言われています。そこで育った杉で作った杉樽を使ってお酒を全国に配送するというストーリー性がある」

明治期に書かれた「吉野林業全書」*2などを見ると、吉野杉は500年ほど前に、三輪山や春日山に自生していた天然杉を吉野地方へ移植したことから始まったものと伝えられている。

*2「吉野林業全書」:明治時代に吉野林業の実務に通じた材木商・林業指導者、森庄一郎が中心になりまとめた民間刊行の林業技術書。1898(明治31)年刊行。

渡邉

「『うまざけ』の三輪という、万葉集での枕詞があって、三輪の酒はどうやら美味しいらしいよ、と評判になり、室町時代以降には、織田信長とか豊臣秀吉とか徳川家康だとかがちょっと送ってくれと命じたらしい。その後も、こうした奈良の酒づくりの歴史は脈々と続いてきた。その枝葉として今の酒蔵やワイナリーやクラフトビール醸造所に繋がっていく。水と自然、古くから育まれてきた歴史と文化、それが奈良の酒の魅力の根源だと思います」

お酒は記憶のバインダーの役割を果たす

渡邉さんには、「橘花KIKKA GIN」アンバサダーという肩書がある。「橘花KIKKA GIN」とは、日本酒「風の森」で知られる奈良県御所(ごせ)市にある創業約300年の老舗酒蔵、油長酒造が、2018年に始めた大和蒸溜所のクラフトジン。渡邉さんはこの事業の立ち上げ段階から、アドバイザー的に関わり、プロジェクトの重要な役割を担ってきた。

ジンにはジュニパーベリーを入れることが必須だが、それ以外に加えるボタニカル*3が商品の個性を出すうえで重要となる。「橘花KIKKA GIN」では大和当帰(やまととうき)と大和橘(やまとたちばな)がそれにあたる。大和当帰は古くから奈良県を中心に栽培されてきたセリ科の多年草で、根は薬草(生薬)として、葉は野菜として重宝されてきた。また、大和橘も古くから自生していた日本固有の原種で、最古の柑橘類と言われるが、「橘花KIKKA GIN」事業の立ち上げの頃には準絶滅危惧種だった。

*3 ボタニカル:ジンの香りや風味づけに使う植物由来の素材。

古来から薬草として使われた大和当帰(左)、日本最古の柑橘とされる大和橘(右)
古来から薬草として使われた大和当帰(左)と日本最古の柑橘とされる大和橘(右)

渡邉

「7世紀頃初頭から薬草栽培で知られる宇陀(うだ)市の市役所の薬草担当の方が、たまたまうちのお客さんという縁で、取り次いでもらえました。また、このプロジェクトが進んでいる頃に、大和橘の保護・育成のために『なら橘プロジェクト推進協議会』という有志の会の活動が活発化していました。原料として入手の目途が立つ時期というタイミングも良かった」

2019年に「橘花KIKKA GIN」は、世界的酒類コンペティションの1つである「インターナショナル・ワイン&スピリッツ・コンペティション(IWSC)」に初出展して、ブロンズを獲得した。国際的にも注目される存在となった。

このカクテルで奈良を液体化して表現したい

「橘花KIKKA GIN」を使った渡邉さんの定番カクテルがある。その名は「神楽(かぐら)」。「橘花KIKKA GIN」に日本酒を加える。今回は地元、桜井市三輪の地酒「三諸杉」(今西酒造)を使い、大和橘のビネガーシロップ、ライム果汁を少々。これをシェイクして、陶器の酒器に注ぎ、仕上げに地元産のミョウガを薄切りにして添える。奈良県内の他の酒蔵の日本酒を使うこともあるが、どれを使ってもカクテルの名前は「神楽」だ。

酒器に使うのは、赤膚焼(あかはだやき)という奈良の伝統的な陶器。器に描かれている素朴な絵柄は奈良絵と呼ばれ、コースターには吉野の木材を使っている。

渡邉

「このカクテルを発表したら、日本酒の蔵の方々からめっちゃ怒られたんですよ。その日本酒使うんやったら、なんでうちのやつ使わなへんねんとか(笑)。お前そんなことしたらカクテルがジュースみたいやんけって。でもね、だんだん蔵の当主の世代も代わり若い経営者になって、こういうアプローチも認めてくれるようになってきました」

「橘花KIKKA GIN」と奈良の日本酒を使ったカクテル「神楽」
「橘花KIKKA GIN」と奈良の日本酒を使ったカクテル「神楽」

日本酒をカクテルに使うバーというのは全国でもまだ少数派だ。そもそも、一般のバーで日本酒を置いてあるお店はほとんど見かけない。渡邉さんは「神楽」というカクテルで何を表現したかったのだろう。

渡邉

「これで何をしたいかと言えば、いかに奈良をカクテルに仕上げて、奈良を液体化して表現するかということです。ここに来て、これを飲んで、奈良で見聞きしたいろんな思い出を回収していただく。お酒というのはそういう、記憶のバインダーとしての役割を担うことがあるんだと思います」

カクテル「神楽」の材料。「橘花KIKKA GIN」、「三諸杉 純米吟醸」、「タチバナ ビネガー」(ポニーの里ファーム)
カクテル「神楽」の材料。シェイカーの右隣から「橘花KIKKA GIN」、「三諸杉 純米吟醸」、「タチバナ ビネガー」(ポニーの里ファーム)

「On Drinking」の「紀行特集:奈良」の取材で多くの美味しいお酒に出合えた。奈良の日本酒、奈良のワイン、奈良のビール。奈良のジン。いずれも奈良の個性を有したクラフトな酒ばかり。古都千年の歴史の流れを感じながら、今宵は、どこで、どのお酒をいただくことにしようか。

「THE SAILING BAR」のマスターバーテンダー、渡邉匠さん

※記事の情報は2026年10月14日時点のものです。

「THE SAILING BAR」の店名サイン

THE SAILING BAR

住所
奈良県桜井市吉備564-3 SHRビル5F
電話
0744-49-0040
定休日
日曜日
URL
https://www.sailing-bar.com/
Photo: Koichi Mitsui Text: Akira Suzuki(On Drinking)
  1. 07.
    THE SAILING BAR 渡邉匠さん

    「奈良の酒の魅力の根源? それはこの地の歴史と自然でしょう」

    渡邉匠さん

    THE SAILING BAR

    奈良県桜井市吉備564-3 SHRビル5F

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