On the Journey紀行特集

奈良、お酒のはじまりを訪ねて

「ワインづくりは、究極の 自己責任の世界」

04.木谷ワイン

ブドウ畑に立つ木谷一登さん

奈良は、ワインづくりに向いた土地ではない。梅雨があり、台風が来る。銘醸地の条件とされる乾燥した空気も昼夜の寒暖差もない。それでも、畑に新しいブドウの苗木を植える人がいる。奈良県で唯一のワイナリー「木谷ワイン」を営む木谷一登(きたに かずと)さんだ。なぜ奈良なのか。なぜワインなのか。そこには美しい物語だけではなく、もっと切実で人間的な理由があった。

木谷ワイン 代表
木谷一登 さん

奈良県香芝市出身。京都大学大学院修了後、銀行勤務を経てワインの道へ。大阪府柏原市のカタシモワイナリーで栽培・醸造の研修を受け、2018年にワイン用ブドウ農家として独立。2022年、奈良県初のワイナリー「木谷ワイン」を立ち上げた。奈良で生まれたブドウを奈良でワインにすることを掲げ、土地の風土を映したワインづくりに取り組んでいる。


木谷ワインの位置を示す地図

4月、橿原。畑に1,500本の苗木を植える

木谷ワインの位置を示す地図

取材で訪れたのは4月。奈良県橿原(かしはら)市にある2ヘクタールの畑で、木谷さんは新しいブドウの苗木を植えている最中だった。なだらかに傾斜した斜面には、早くも初夏のような日差しが照り付けている。

木谷

「苗を植えて、ちょっとずつ芽が出だした時期ですね。芽を出すと根っこが生えてくるんで、芽が出る前に土に植えつけないと」

ここから6月までは目を離せない。7月に少しだけ間があり、そのあとは収穫、醸造、年末の販売まで一気に駆け抜ける。ワインづくりは、ブドウが実るときだけの仕事ではない。春に土へ差し込んだ陽光が、秋の実りになり、冬の瓶詰めにつながっていく。

畑ではアルバリーニョ、ピノ・ノワール、マスカット・ベーリーA、シャルドネなどの苗木が、仲間たちの手で一本ずつ植え付けられていた。奈良県にしてはまとまった広さだというこの畑に、木谷さんは昨年は1,000本、今年1,500本、来年もさらに1,000本の苗を植える予定だ。

ブドウの苗を植える

6月の雨が滴る畑で出会った緑の粒

木谷さんは奈良県香芝(かしば)市生まれ。幼少期を大阪の富田林(とんだばやし)で過ごしたあと、4歳から高校卒業までを再び香芝市で暮らした。子どものころから、暗記の科目はあまり好きになれなかったが、算数や理科など自分の興味が向いたことにはいくらでも時間をかけられた。高校では生徒会活動に打ち込み、文化祭では全校生徒1,200人の大合唱をバックで盛り上げる映像作品を作った。

木谷

「お金を払ってサービスを受ける喜びもあるけど、自分で人を楽しませるっていう喜びがあるんだな、というのをそのときに感じたんです」

木谷さんインタビューカット

京都大学大学院まで進んだあと、就職したのは地方銀行だった。何をやりたいか決められず、いろんなことを学べる場所として銀行を選んだのだという。けれど働くうちに、その場所は少しずつ自分に合わなくなっていった。

木谷

「なぜ今この作業をやるのか、ということを納得できないのもしんどかった」

与えられた仕事のなかで、できることは一生懸命やった。でも、人に決められ、人に責任を負わされるような感覚には、最後まで馴染めなかった。

そんな木谷さんがワインに惹かれたきっかけのひとつが、銀行員時代に訪れた大阪のワイナリーだった。

木谷

「6月の雨が滴る畑を歩いて、ちっちゃな緑の粒が頭の上にたくさんなってるのを見たときに、実際にここでワインがつくられているんだ…って」

「木谷ワイン」の事務所

同じ酒づくりでも、なぜ日本酒でもビールでもなく、ワインだったのか。

木谷

「ワインをつくる身からすると、日本酒やビールをつくることって、“料理”的なニュアンスがあると思っていて。誰が、どういうレシピでつくるか、というやり方。それに対して、ワインは農作物由来の部分が一番大きい。人のせいにする先がないので、お天道様の成り行きを受け入れるしかないんですよね。究極の自己責任の世界だなと思って。そういう、地面から自分でつくり出したものを形にしていくっていうところが、性に合っていたんです」

「ワインづくりは、自己満足のアート」

木谷さんの話を聞いていると、ワインづくりは前向きな転身というより、結局自分はこういう生き方しかできなかった、という選択に近いのかもしれないと思う。

興味のないことには身が入らない。でも、自分で納得して選んだことには、とことん時間をかける。そういう性格は子どものころから変わっていないらしい。「自分にはわがままな部分が大いにあるので」、そう言って木谷さんは少し笑った。

大きな会社に入って、大きなプロジェクトを回す。それが、いわば“正攻法”の人生なのかもしれない。でも木谷さんには、その道にどうしても実感が持てなかった。口に入るもののほうが、もっと身近で、もっと本質的に思えた。

木谷ワインのブドウ畑

理系のバックグラウンドを持ち、高校からブレイクダンスを長く続けてきた木谷さんは、ワインづくりを「アート・クラフト・サイエンス・テクノロジー」が重なるものとして捉えている。天候や土地に合わせて自分がどう動いたか、その結果が一本のボトルに詰まる。そこに、彼は強いアート性を見る。

木谷

「無限にオプションがあるから、おのずと自分が作るワインの味になってくるんですよね」

だから、「自社畑のブドウでつくるワインはほとんど“自己満足のアート”」だと言う。採算だけ考えるなら、もっと別のやり方もあるはずだ。それでも、自分で決めて、自分で責任を持って、自分の感覚でつくる。

木谷

「自分の手を動かして試行錯誤すること、結局それ自体が好きなんです」

手作業で害虫を駆除する

ワインづくりに向かない土地で、螺旋階段を下りていく

奈良は、ワインづくりに向いた土地ではない。木谷さん自身、そのことをごまかさない。ワイン用のブドウには、実のなる季節に乾燥していること、昼夜の寒暖差があることがよいとされる。けれど奈良には「そのどちらもない」。梅雨があり、台風が来る。夏は、夜中まで25度を超える。

条件だけを見れば、もっと向いた土地はほかにある。実際、北海道や長野から届く、美しく整ったブドウを目の当たりにすると、「奈良はやめとこうと今なら思うかもしれない」、と木谷さんは率直に言う。

それでも奈良でやるのは、若いころ、その不利をまだ知らなかったからでもあるし、もっと言えば、この土地で深く潜っていく生き方が、自分に合っていたからだ。

木谷

「あんまり刺激が多すぎるのもちょっとしんどいタイプなので。知った土地で、このワインという世界をぐるぐる深掘りしていくような、螺旋階段を下りていくような、そういったやり方が自分に合ってるなって」

橿原のブドウ畑

派手な世界に飛び込むより、慣れた土地で、やりたいことだけを深く掘る。その感じが、木谷さんにはしっくりきたのだろう。奈良には知り合いがいて、長く付き合っていく人たちがいて、地元の市場もある。今のところ、奈良県で日本ワインをつくるワイナリーは木谷ワインだけだから、販売が得意ではない自分にも「下駄が履ける」とも話す。

奈良でワインをつくることは無謀かもしれない。でも、梅雨や台風、蒸し暑い夏を含めて、この土地にしかない風土がある。平坦な正解の道ではなく、少し無理があっても、自分の力を注いでみたいと思える場所。木谷さんにとって奈良は、そういう土地なのだと思う。

めざすのは、「水の中に複雑さがある」ワイン

木谷さんがめざすワインについて語るとき、何度も出てきたのが「水」という言葉だった。

木谷

「僕、日本ワイン全体のテロワールって、水だと思ってるんですよね」

世界の銘醸地から見れば、日本のように雨が多く、雨よけのビニールまで張ってブドウを育てるなんて、信じがたいかもしれない。木谷さん自身、それを「狂気じみた栽培」と言う。

それでも、そんな土地だからこそ生まれる独自性がある。木谷さんの言う「水を感じるワイン」とは、ただ薄いワインのことではない。飲み下しやすく、邪魔しない、気づいたら一本空いているようなスムーズさを持ちながら、その中に複雑さがちゃんと詰まっているワインのことだ。

木谷ワイン・商品ラインナップの一部
左から、長野県中野市産のビオ栽培のシャルドネを使った「シャルドネ キュベエイザワ2024」、天理の自社農園に2018年に植樹したピノ・ノワールを使用した「ドメーヌキタニ奈良ルージュPinot 2024」、山梨県勝沼町産の甲州を使用した「キュベタカシ甲州樽熟成2024」、山梨県南アルプス産の甲州を使用した微発泡ワイン「K-Vineyard甲州ペティアン2025

木谷

「水っぽいだけでは意味がなくて。スムーズなワインの中に、いろんな香りがして、味がして…。その要素をいかに詰め込むか。そういう勝負を毎年している感じです」

野生酵母、低介入。そうしたつくり方によって、水のようなニュアンスはより際立つ。同時に、さまざまな香りや味わいが折り重なっていく。

しかも、そのワインはできれば遠くへ運ばれるより、奈良で飲まれてほしいと木谷さんは言う。小さな規模のワイナリーだからという現実的な理由もあるが、それだけではない。奈良の醤油や柿の葉寿司、発酵を感じる食べものと合わせたとき、自分のワインが自然にそこへなじむ感覚があるからだ。

奈良の雨、奈良の土、奈良の食。旅先でその土地の酒を飲むというのは、その風土を口に入れることなのだと思う。

橿原のブドウ畑と山々

地域に「ワイナリー」が存在する意味

木谷ワインには、自社畑のブドウだけではなく、農家から引き受けた果実でつくるワインもある。そこには、木谷さんが考える「地域にワイナリーがある意味」がよく表れている。

木谷

「うちだと果実酒の製造免許があるんですけど、それが地域にあるっていうのが、農家さんにとってひとつオプションとして大事だなと思っていて」

たとえば、収穫や販売が終わったあとに少し残る巨峰。商品として出しにくくても、ワインなら潰してしまえば一緒で、むしろ遅摘みで香りが凝縮していることもある。そうした果実を木谷さんが引き受ければ、農家にとってはお金にもなる。出来上がったワインを10本、20本と買い戻して、「今年はこういうワインができたね」と楽しむ人もいる。

飛鳥村で生産された規格外のみかんと少量のレモンでつくる「みかんワイン」もそうだ。大きすぎたり、傷が入ったりして市場に出しにくいみかんを少し高く買い取り、ワインにする。

木谷

「こうした場所が1つあると、喜んでくださる方が増える。地域にワイナリーがあるということの社会貢献性かなと思います」

木谷さんインタビューカット

一方で、木谷さんは奈良県産だけに閉じた人でもない。県外のブドウにも、自分の価値観に近いものがあれば手を伸ばす。長野でオーガニック栽培されたシャルドネを引き受けた話をしてくれたときも、木谷さんが見ていたのは産地の名前より、そのブドウを育てた人の思いだった。

木谷

「自分が一生懸命ブドウを作って、そのブドウが美味しいワインになったところを見たい、とその人は言っていて」

奈良の畑を広げながら、思いを同じくする農家からの原料も受けていく。そこに通っているのは、土地への忠誠心というより、自分がいいと思うブドウを、自分がいいと思う形でワインにしたい、というまっすぐな感覚だ。

木谷さんがつくっているのは、ワインだけではない。人の手から人の手へ、小さくても確かな循環が続いていく、その仕組みそのものでもある。

木谷ワイン・木谷一登さん

※記事の情報は2026年8月26日時点のものです。

木谷ワイン・商品ラインナップの一部

木谷ワイン

住所
奈良県香芝市下田西3-219-1
電話
080-3795-1989
URL
https://kitaniwine.com/
Photo: Shoko Takayasu Text: Tomoko Aki(On Drinking)
  1. 01.
    今西酒造 今西将之さん

    「この三輪という土地をそのまま表現する酒をつくらなあかん」

    今西将之さん

    今西酒造

    奈良県桜井市大字三輪510

    Read more
  2. 02.
    油長酒造 山本長兵衛さん

    「『風の森』の魅力は、硬水由来のとろっ、生酒由来のとろっ」

    山本長兵衛さん

    油長酒造〈前編〉

    奈良県御所市1160

    Read more

    「どうしたら安全にお酒をつくれるかを考え抜いた人たちがいた」

    山本長兵衛さん

    油長酒造〈後編〉

    奈良県御所市1160

    Read more
  3. 03.
    洞川温泉醸造所 銭谷貴大さん

    「僕はこの町に観光に来たいと思えなかった。だからビールをつくることにしたんです」

    銭谷貴大さん

    洞川温泉醸造所

    奈良県吉野郡天川村洞川226

    Read more
  4. 04.
    木谷ワイン 木谷一登さん

    「ワインづくりは、究極の自己責任の世界」

    木谷一登さん

    木谷ワイン

    奈良県香芝市下田西3-219-1

    Read more
  5. 05.
    倉本酒造 倉本隆司さん

    知れば知るほど、「奈良には面白い酒がいっぱいあるやん」となります

    倉本隆司さん

    倉本酒造

    奈良県奈良市都祁吐山町2501

    Read more